私の価値観は「お母さん」で作られているんじゃないかって思ってたし、実際、自分の価値観の根底にずっしりといる。
アイスは1日1個までってルール。
もう大人なんだから、好きなだけ食べたっていいはず。
女の子なんだから勉強できなくてもいいよ。
「女の子なんだから」なんて考え、今の時代大切に握りしめててもなんの役にも立たない。
年を重ねると色々と考えてしまって結婚できなくなるから、早くしたほうがいいよ。
はやく結婚して子どもを産みたいと思ってるけど、ずっと昔から言われてきたことだから、自分の価値観ではないのかもしれない。
その仕事、あなたに向いてないよ。(合わないよ。)
私の人生なのに、自分で決めきれなくて相談すると、よくこの言葉をもらってた。
「挑戦しない理由」をお母さんの言葉のせいにして、本当の自分の気持ちを無視してきた気がする。
アインシュタインの名言にもあるように「常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションでしかない」
私が今まで何の疑いも持たなかった「普通」はお母さん(お父さんも含むかな?)の価値観で作られている部分が多くて、色々なことを知るにつれて、「これは違うんじゃないかな?」なんて思いながら自分の価値観を再構築していってるのかな、なんて思うのです。
お母さんの価値観を引き継いでる私の価値観も、お母さんの価値観に対して抱く反発心も、全部含めて「わたしらしさ」。
混沌とした状態が気持ち悪くて、私はしっかりと自分を持ててないダメな奴なんだって思ってたけど、大切な人が「それが君らしさだよ。」と言ってくれた。
いつも「自分らしさ」とか「自分の価値観」が分からなくなっていたけれど、その「分からない状態でもがいているわたし」こそが「わたしらしさ」なんだと少しずつ思えるようになってきた今日この頃。